2011年2月27日日曜日

牛久にて

 しまった! まずい!
 それは電車に乗って2駅過ぎたころだった。久しぶりの似顔絵の仕事だった。画材と色紙は夕べから既に鞄に詰めてあった。予定通りの電車に乗れば入り時間のだいぶ前に到着するはずで、現場ちかくにあるマックで時間をつぶそうと、そこの営業時間まで調べてあった。
 iPhoneのアラームでなんとか5時前に起きて、インスタントのトムヤム春雨(めちゃ辛)の朝食を食べたりしているうちに時間がなくなって来て、ichikoを起こし、交通費をもらって家を出た。ドアを閉める時、階段の灯りを消すのを忘れたのに気がついたが、急いでいるのでそのままにした。5時58分、電車に乗り、まずは一安心。乗り換えも比較的簡単なので後は音楽でも聞きながら…、ああ、そうだイヤホンを忘れた。でも、まあいいや。耳がふさがれていると乗り換えを失敗することがあるからな。あきらめて今日の仕事の詳細が送られてきたFAXに目を通した。「色紙と色紙用ビニールと紙袋を用意の事」…、色紙と…、色紙用ビニール! 紙袋! しまった! 忘れた! ああ、久しぶりなので忘れちまった! 紙袋はともかく、色紙用ビニールはコンビニじゃ買えないし、客の少ない現場とはいえ、全く来ないというのはありえない。向こうの人間も似顔絵イベントは初めてじゃあないし、色紙をむき出しで渡していたらおかしいと気づくに決まっている。だから、まずい。大いに。
 慌ててiPhoneの乗り換え案内でいくつか検索、早め設定で予定をたてたので取りに戻ってもなんとか間に合いそうだ。次の駅で電車を降りて引き返した。また、あの坂を上るのかと思うと気が重い。しかも全速力で。生田駅に戻り、自転車に飛び乗った。トムヤム春雨が胃の中で膨れて足に力が入らない。坂の中程まで来てもう汗が額を流れてきた。喘ぎながら家のドアをくぐりビニールと紙袋を用意する。ははは、そうだ、イヤホンを持って行こう! そう、それに階段の電気も忘れまい。予定とはだいぶ違ってしまったがせめてもの慰めだ。若い頃の井上陽水に「人生が二度あれば」というおセンチな歌があるが、確かに過去をもう一度生きられたら、最初の人生より上手に立ち回れるかもしれないと自転車で坂を再び駆け下りながら思った。
 6時46分。薄暗かった空もすっかり明けた。前に乗ったものよりだいぶ混んでいる電車が来た。入り時間の14分前に向こうの駅につくのでタクシーに乗れば間に合うだろう。シートに体を沈めると、思わぬ運動のあとの虚脱感に目を閉じた。あああ…! 玄関にイヤホンを…! 靴を履くときに置いて…! 忘れた! どうやら人生は二度くらいでは足りないようだ。



そして、さらに衝撃の事実が。現場にはなんとか入り時間の2分前に到着したのだが、準備を始めて我が目を疑った。ビニールと紙袋を用意したはずが紙袋だけしか入っていないのだ! これは…! 何の手品だ! タヌキに化かされいるのか? あああ、もしかしたら、ビニールを数えているときに近くにあった別の包みを持ってきたのでは…。おお、tatsuよ、おまえは…!

ここで一句。

 人生は 何度やっても 同じこと

         牛久にて、涙しつつ

2011年2月10日木曜日

甲府

明日のガムランワークショップのためにきょうは前乗りの一泊。夕方7時過ぎに家をでて中央自動車道、談合坂で
コーヒーを買い、一宮御坂で高速を降りた。夜のドライブは町の灯りにも旅愁を感じるものだ。高速から見下ろすあの家々の窓の一つ一つにそれぞれの人生があるのだ。それはいったいどんな日々であろうか。一般道で石和を抜け、小一時間ほど走ると、10時少し前に宿泊先の甲府Pホテルに着いた。ワークショップ関係で泊まった中でも一二を争う寂れた宿だ。ベッドサイドにおかれたキャビネットは、おそらくタイマー付きの時計が壊れ、修理されないまま「故障中」の張り紙をされて放置され、今はその張り紙さえ失われ、正体が判然としないのを幸いと開き直って、備品でございますと居座っている。旅愁ここに極まれり。