2009年9月18日金曜日

元住吉商店街

 法定12ヶ月というのがあって、車を点検してもらわなければならない。それをやると、フロントガラスに貼ってあるシールが張り替えられるのだが、もう一つ、車検のシールもあって、こっちの方が小さくてバックミラーに隠れるようにして貼られているので、重要度から言うと逆にした方がいいのじゃないかと思う。それぞれに次回の点検の期限が書いてあり、「やばい、もう車検か!」とあわてて車検の予約をしようとして「おたくはまだですよ、法定点検じゃないですか?」とHONDAの営業の人に教えられる事、1度や2度ではない。ま、それはともかく、その、車検ではなく、法定点検のために木月のHONDAにむかった。車を預け、点検が終わる夕方まで一駅はなれた中原図書館で仕事をすることにして。元住吉の駅前はかなりにぎやかな商店街が連なる。私鉄沿線らしいこういう商店街は久しぶりだ。となりの武蔵小杉は再開発で駅周辺はじきに様変わりするだろう。中原図書館も今の建物は取り壊されて、多摩図書館のように区役所ビルのなかに移転するらしい。もちろん、大反対。今の古びた佇まい、とくに学習室と書庫にあてられている別館は、あちこちがつぎはぎに修理されているユルさ加減が実にいごこちいいのだ。きょうの図書館は窓が開け放され、秋の日差しが差し込んでいて、ふと、子供のころ毎日のように通った駄菓子屋を思い出した。たぶん、夏の勢いをすてた日光の具合が、その駄菓子屋の壁を暖めていたそれと似ているんだろう。日差しだけではなく、街の雑踏や、ちかくの「餃子の王将」からはニンニクの匂いが流れ込む。中原図書館は街なかに溶け込むというより埋もれた図書館だ。仕事はそこそこはかどり、パソコンのバッテリーもつきる頃、外へ出ると既につるべ落としに日は落ちて街灯と夕焼けの下、家路をいそぐ人々がいた。車を受け取りに再び元住吉に戻ると商店街の店先からは明るい光が流れ出して、昼間にはないその魔力で野菜だの古着だのハンバーガーだのを、その価値以上に魅力的に見せていた。秋のひんやりとした空気の中、夕暮れの商店街を歩いていると、また一つの記憶がよみがえった。大学の帰りに歩いた古本屋街、買いあさった古本の重さ。人の流れの中にいながら孤独はいや増す都会の秋。秋に人は記憶のページをついパラパラとめくるのだろうか。点検は思いのほか高くつき、ふところまで寂しくなる。家に戻るとすでに8時近くになっていた。そういえば、きょうはあわてて家を出たので、カブトムシの様子をまだ見ていなかった。また、ひっくり返ったままになっているのではないか。カブトムシの寿命は成虫になって後、1、2ヶ月なのだそうだ。ということは、もうそろそろお迎えが来るおじいちゃんカブトムシというわけで、ここ2、3日はさらに動きが緩慢になっていた。ケースをのぞくと、意外なことに、おなかを見せてはいなかった。逆に、今日はそれが気になって、水分補給用の水を振りかけた。だが、水滴がその黒い背中を走っても、いつものように顔をもたげることはなかった。虫は静かに死んでいた。昨夕はまだ、ケースが置かれている洗面台の、蛍光灯に照らされた白いタイルに惹きつけられるように、つるつるの壁を弱々しくなでていて、その様子を見ながら、死ぬ前に外に出してやろうかなどと、ふと思ったりしたのだ。ひっくり返っているのをあたり前のように見ていたせいか、なんとなく僕はこれが死ぬ時は仰向けになって死ぬのだろうという気がしていたのだが、予想に反して、ちゃんと起き直ったまま死んだ。ツノをつまんで間近に見て、確かに死んでいるか、少しでも動きはないかと確かめながら、ぼくは自分が予想以上にこの老虫の死を悲しんでいるのに驚いていた。これも、秋の仕業なのだろうか。

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